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へんなひとインタビューVol.7 木下亜矢子というひと


木下 亜矢子 Ayako Kinoshita

美容師

Hair&Make RISOオーナー

思い立ったが吉日! 理由は後からついてくる。

気づいたら動いてたへんなひと の巻

スタイリストになってすぐ、ロンドンに飛び立った。

何でも、こうと決めたらうずうずして、じっとはしてられない!

地元・松本にサロンをオープンして3年。

ポルトガル語で「笑い」を意味するRISO(リーゾ)は、外まで笑い声の響くお店にしたくて名付けたと話す木下さん。ほんとに外のひとが思わず立ち止まってしまいそうなほど、大きな声でカラカラと、豪快な笑い方をする頼れるこのアネゴ。なんだか、会うと元気になる。

行動力

ー松本で生まれ育った木下さん。お店を開くまではどんな風に過ごしたんですか

木下:高校卒業後、東京の美容師専門学校に進みました。ちょっと特殊な学校で、入試の時に出た問題も印象的でした。直径12cmの円をフリーハンドで描くとか、指の複雑な動きを見せられて、これ出来ますか、とか。今思えば、どの程度センスを持っているか、プロ意識を持っているのかを受験の時には既に見られてたんだと思います。指の動きも、結局、爪の長さを見ていたんだと後から聞いた覚えがあります。入学後の試験でも、音楽を聴いて、それを絵にしなさいというようなおもしろいテストもありました。

 専門学校を卒業した後は、そこに講師として来てくれていた憧れの卒業生が経営する長野市のサロンに就職をして、3年勤めました。そのうちに、どうしても世界を見たいっていう気持ちが強くなって、日本人が経営しているロンドンのサロンのスタッフ求人に応募をして、渡英しました。

 ロンドンを選んだ理由は、美容師のライセンスを現地で取り直す必要が無かったから。本来なら、少しくらい英会話を覚えてから、と発想するところなんでしょうけど、全然しゃべれないまま行っちゃったから、コミュニケーションでは苦労しましたね。経営者が日本人とはいえ、お店のお客さんは現地の人ですから。来店して最初の、どんなスタイルにしますか、というような場面でも、紙にデッサンを描いたり、ジェスチャーでのやり取りがほとんどでした。

 ロンドンで1年過ごした後は、神戸のサロンに勤めました。神戸のポートアイランドっていう人口島の街並みがすてきなんです。『魔女の宅急便』みたい! 住みたい! すっかり魅了されて、気づいたら神戸に住んでました。何ごとも、じっくり考えてからというよりは、ぱっと行動に移しちゃう性格なんです。

 神戸で5年過ごした頃、兄が亡くなるという悲しい出来事があって、それをきっかけに松本に帰ってきました。どうせ帰ってくるなら、自分でお店をやっちゃえばっていう家族の助言なんかもあって、お店をオープンすることにしました。

幸い物件はすぐに決まって、決まってからオープンまでも半年と早かったですね。

ーロンドンへは、1年間の修行と決めて渡ったのですか?

木下:ちがうんですよ、それが。特に期限は決めていなかったんです。私の働いたサロンは高級住宅街にあったせいもあるかもしれませんが、シャンプー・ブローだけしに週1で来るお客さんはすごく多くて、その他はカットとカラー。行ってみて分かったことなんですけど、パーマをかけるお客さんが全然いなかったんですよ。向こうの人はみんな、くせっ毛なんですね。天パーなんです。だから、パーマの需要がぜんぜん無かった。天パーは天パーのままで、ストレートパーマもかけない人がほとんどでした。それで、あぁ、このままだといつか日本に帰った時に、パーマの技術が鈍って困るだろうなと思って、帰国を決めたんです。ただ、ロンドンで得たものは大きかったですね。シェアハウスで暮らしてたんですけど、いろんな国のいろんな職業の人と生活して、もうあれから何年も経ちますけど、今も交流があります。パーマの施術をする機会はありませんでしたけど、カラーの技術はかなり磨かれました。スライシングやウィービング(仕上がりに立体感を出すために、ミリ単位でブリーチする部分と黒く残す部分を分ける作業)なんかも、ロンドンの人は日本以上の細かさで手間をかけてやるのが当たり前でした。ふつう、どこのお店でも別料金で提供しているものですが、RISOでは、カラーを注文してくれたお客さんには標準で施術するようにしています。美容室もたくさんあって、今は楽に出来てそれなりに仕上がるホームから―も出てますから、うちの店を選んでもらえる理由っていうのを、ちゃんと作りたかったんです。

ー美容師さんになるのは、小さい頃からの夢だったんですか

木下:そうですね、小さい頃から、髪の毛をいじるのは好きでしたから。でも、小学校1、2年の時の将来の夢は、ちょっとブレたんです。海女さんになりたかったんですよ。今もそうなんですけど、海に潜るのも、泳ぐのも本当に大好きで。

毎年、夏になると家族で新潟の海に遊びに行っていた影響なのかな。本当は今も、海のあるところに住みたくてしょうがないんです。今年から、サーフィンを始めたんですよ。もともとダイビングをやっていたんですけど、最近、酸素ボンベで酔うようになっちゃって、それでもマリンスポーツがどうしてもしたいから、サーフィンを始めたんです。年に1度は、ひとりで海外旅行に行くんですけど、海のきれいなリゾートばっかり行っちゃうから、カップルばっかりで・・。

 やりたいことは、かたっぱしからやってみないと気が済まない性質なんですね。

それでも、子供の頃は、コンプレックスがかなり強いほうでした。まわりとの違いって、子供の時はそれが個性だとはなかなか自分も周囲も気が付かないものじゃないですか。だから、集団行動が苦手でした。みんなと同じ時に、みんなと同じ気持ちになれないっていう場面には良く出会って、そのたびに、私ってみんなと比べておかしいのかなって思ってしまう。大人になってもそういうことは多々ありますけどね。お店を持った今がいちばん楽ですね。何でも自分で決められますし。

ただ、一人でやってるからこそ迷うこともあって、初心に立ち返るために、1年に1度はお客さんに宛てた手紙を書くようにしてるんです。年によって、誰にも見せない時もあるし、紙に起こしてお客さんにお渡しすることもあるけど、文章に書くことって、原点に戻れるから大事ですね。

地元への思いと 将来の夢

ー松本という街には、どんな思いがありますか

木下:やっぱり地元だし、お客さんからいただく差し入れも自家製のものだったりして暖かみを感じますね。そういうところは好きです。ただ、美容師として残念なのは、情報量の少なさです。流行に対する情報が、本当に遅れています。美容師自身の美意識や知識が低いのも、残念なことです。だから私も、頻繁に東京や横浜に出て行って、リアルな流行を目で見てくること、向こうの美容師の友達と会って話すことを心がけています。

 次は、オーストラリアに2店舗目を出すのが当面の目標です。何でオーストラリアかっていうと、やっぱりどうしても海のそばに住みたいから。老後は、安曇野あたりに自給自足の村を作って、そこの村長になるんです。年金もらえるかどうか、わからないからね。何でも自分たちでやって暮らせる村にするんですよ。村に住みたいひとには面接で特技を披露してもらうんですけど、おもしろいひとしか入れないんです。

それで、70歳になったら惜しまれつつ死んでいくっていうのが夢ですね。

ーでも、安曇野って海がないですよ

木下:そう、そこそこ! それが今、いちばんの悩みです。

ー最後に、今はまっていることを教えてください

木下:サーフィンと、マラソンにはまっています。あと、今年は雪山登山も始めようと思ってます。

松本アイスから木下亜矢子さんへ

「あぁ、やっぱりクリエイティブなひとと話すのは楽しいな」と、インタビュー中に嬉しいことをつぶやいてくださった木下さん。

自信に満ちて、太陽のようにみんなを明るく暖かく照らしてくれる彼女は、それでもかつてはコンプレックスのかたまりだった。

夢を叶えるのは努力だってことは、聞かなくてもみんな知ってる。

彼女が教えてくれたのは、何よりもありのままの自分のセンスを大切に生きること。衝動的だって、突拍子もなくったって、進まなければ道はできないし、何より自分のひらめきを実現させるためだったらどんな苦労もいとわない。それに、面白いと思えることしかやりたくない。

一歩踏み出したい時に、踏み出せない理由を数えて足踏みするぐらいなら、踏み出してみて、壁にぶつかってから考えよう。そうしたら、踏み出せた理由、踏み出した意味はいくらでも後からついてくる。木下さんから受け取る安心感は、そんな確固たる人生観のせいかもしれません。

松本アイスはこれからも、木下亜矢子さんのへんな松本暮しを見つめつづけていきたいと思います。

ありがとうございました。

                 店内にはお気に入りのサーフボード

            このドアの外まで、笑い声があふれ出してる


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